20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その10
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6月29日
「姫路は城しかないでぇ。あ、そうだ圓教寺って寺ええで。弁慶がお手玉したっていう石がのこってるで。そういうの好きでしょ」。マイボス正解です。というわけでボスおすすめの圓教寺に行く神姫バスの窓口で往復のバスとロープウェイのセットの切符を買う。そして神姫バスの「書写山ロープウェイ」行きに乗車。所要時間30分。たしかになんもないなぁ。まぁ自分の住んでいるところよりはあるけれども。普通の住宅地を走っていくとロープウェイ乗り場に着いた。
圓教寺は山の上にあるお寺だ。ちょうど校外学習の小学生と一緒に上がる。ボスがいうには姫路の小学校では圓教寺に行くのが定番だそうだ。
山頂のロープウェイ乗り場から本堂の方までバスが走っていたがせっかくなので歩くことに。
バスで行ったらこういう風景がみれない。その分大変なんだけど。
摩尼殿ではお坊さんから面白い話を聞いた。おみくじの話である。「おみくじとは本来人生の方向性に悩んだ時に引くものである。そして凶にもこれからよくなる凶と、しばらくダメな凶もある。大吉も同じでこれからだめになる大吉もある。だから結果だけで一喜一憂するのではなくおみくじの結果を踏まえて行動するのが良いです」と。そして「おみくじというのは季節の分かれ目節分で引くのが良いのです。結果をもって行動し奉納もそのタイミングがいいのです」。自分は仕事で悩んでいた。勢いで辞めてしまったもののこの先ノープラン。どうしたものか。コロナで仕事が見つかるかわからない。引いてみた。大吉、それもこれからよくなるやつ。当たるも八卦当たらぬも八卦ってやつでしょけど。この後いい会社が決まったのであながち悩んでいるときに引くというのはあってると感じた。ところでおみくじ持っているのだけれども奉納に行かないとなぁ。姫路はちと遠い。
正直ちょっと前なのでなんの建物だったか覚えてないんです・・・。でもよかったです。
じつはここから写真がない。というのもフイルムがラスト1本なのにその装填に失敗。フイルムのベロがパトローネの中に。「あああああ」となったのは内緒だ。
書写山は結構いい雰囲気であった。映画ラストサムライの撮影でも使われたそうだ。山そのものが境内になっているのは京都の比叡山が有名であるが雰囲気はこちらの方がいい。今度おみくじの奉納に行かなければいけないのでまた撮影をします。
このあと姫路城へ。写真はない。よく「成敗!」で有名な時代劇で出てくるので見慣れたものであったがかなり広く見ごたえはあった。
姫路を出るのが15時半くらいになってしまった。予定では明石市天文科学館に行き東ドイツのツァイスイコンイエナ製のプラネタリウム機械を拝む予定だったが間に合わない。おみくじ奉納の時に(以下略)。大阪で途中下車しフイルムを購入。ついでに腕時計の電池が切れたので交換。天王寺のホテルへ。ホテルでフイルムを間違いなく装填。明日から紀伊半島である。
どうでもいいんだけど。今回、写真圓教寺だけですね。タグも少ないです。
20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その9
倉敷より列車の本数が多い区間が多くなりますので天王寺まで基本的には列車の時間は省きます。今回の旅は文字通り放浪でしてその場で乗る列車を決めていてメモにも残していないためです。
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6月28日
倉敷で1泊したのでは翌朝に水島臨海鉄道の国鉄型に乗り撮影するためであった。まず6時57分の列車に乗車。この列車は国鉄型である。この日はキハ37が運用に入っていた。三菱自工前駅まで乗車。
折り返し7時28分の倉敷市行きに乗車し途中の福井駅で下車し倉敷市で折り返してくるキハ37を狙う。
倉敷に戻りそこから岡山へ向かう。
山陽本線 倉敷→岡山
岡山は特に行先は決めていなかった。ただお昼はJR貨物食堂に行こうと決めていた。とりあえず市内電車の終点清輝橋へ。
そのあと戻ってもう一つの終点東山へ。
そんなに長い路線ではないのであっさり全線走破。もどり岡山城と後楽園に行く。
これで日本三大庭園の2つを制覇。あと1つになった。最後?偕楽園です。一番近いのに行ったことがない。
JR貨物の岡山機関区の中にある食堂なのだが一般客も利用可能。といっても明らかに敷地内にあり入りにくい雰囲気。しかしやたら一般人利用可能と書いてくれているので入りにくさを中和してくれている。味はそこそこでした。値段はかなり安め。弱点は駅から遠い。でも行く価値のある食堂でした。
山陽新幹線 岡山→相生
山陽本線 相生→姫路
食堂は満足したものの思いのほか時間がかかってしまい岡山から乗る予定の鈍行に1分というタッチの差で間に合わなかった。姫路で行きたい場所の閉館時間もありこれが間に合う最終であった。そこで特急券で課金。新幹線で相生まで1つだけのり普通列車に乗り換えた。副産物はその最終よりも早く姫路に着くことができた。
マイボスの地元姫路である。
山陽電鉄 姫路→手柄
どうしても行きたかったのは姫路市営モノレールの展示施設である。
博覧会もあり市内輸送ともかねて1966年に開通したものの博覧会が終わると輸送人数が大幅減。市内交通としても短く料金も高い。延伸計画もなくなり市のお荷物になったモノレールは1974年休止、79年には廃止されてしまった。10年前まではかなり線路が残っていたが現在は撤去が進んだ。ただ10年前にはなかったのがこの展示施設であった。火曜日休館だったのでどうしても今日行かなければいけなかった。
姫路市モノレールはロッキード式であった。コンクリートの軌道の上にさらに鉄のレールを引くというもの。こうすると高速運転ができ、乗り心地もいいというメリットがあった。しかし鉄のレールを用いるため騒音が激しく、メンテナンスも難があった。さらには経年劣化で揺れが激しくなるという残念さ。いかにもアメリカらしい。結局採用されたのは日本だけで、姫路と向ケ丘遊園の小田急モノレールで採用されただけ。ロッキードも早々に手を引いた。この引き際もアメリカらしい。どっかの日本に飛行機製造会社は引かなかったから大変なことになりましたからねぇ。
マイボスはこの施設について知らなかった。「手柄山なんか面白いのなんもないでぇ」と言われた。まぁマニアじゃないと面白くないよね。水族館はあったけれども。モノレールの線路は姫路人には身近なものだったそうだ。「線路も10年でだいぶなくなったで」そう語るボスは見慣れた光景が徐々になくなっていき寂しそうだった。
明日はボスが教えてくれた「篠崎さんなら絶対面白いとおもうで」の場所へ。駅でバスの時刻を確認してホテルへ向かうのであった。
20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その8
遅れた分書かなければ。在庫たまってきてるし。たまる予定だし。メインカメラも1年がかりの修理から帰ってきたし。
つくづく毎日更新する人を尊敬します。はてなブログにはいろいろ機能もあるので試してはみたいのですが、書くので精一杯です。それだけブログというのは気力を使います。
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6月27日
朝、散歩がてらコンビニへ行き朝食を購入。ホテルでモグモグ。今日はお楽しみ。8時過ぎホテルを出る。チェックアウトはカウンターに鍵をおいてくれればいいとのこと。2階が居住スペースになっているらしく階段の下からお礼をいう。
まず駅のちょっとしかないコインロッカーに大物の荷物を入れる。そして、時を戻そう。
社長室で辞める宣言をぶち上げた2週間前。あるアニメを知った。それは私にとってなじみのある土地、山梨県北杜市を舞台にしたアニメ「スーパーカブ」た。両親が東京で田舎という概念のない私にとって田舎のようなもの。そんな土地を舞台にしたアニメがあると知り、その日のうちに原作ライトノベルを購入し2日のうちに読んでしまった。
そして時がたち、辞めることになり時間もできた。大きな周遊旅行に行こうと計画。「どうせ山陽も通るのであればしまなみ海道を原付を借りて回ろう。」と思いつきレンタルバイクを探し始める。
TOP - レンタルバイクモトユニ|レンタルバイクの事ならモトユニ(MOTOYUNI)
見つけて尾道の近くで駅から近いレンタルできるお店を探す。東尾道駅から歩いて10分のお店を発見。レンタルバイクの車種の中にやつがいた。スーパーカブ。同一車種の乗り物において最多生産数を誇る。その生産台数1億台以上。その頑丈さからメーカの人ですら何万km走れるかわからないと答えてしまう最強のバイク。そしてあのアニメのバイク。迷わず予約。ヘルメットもレンタル。これが旅行前の出来事である。不安要素が一つ。乗れる乗れないの以前に緊急事態宣言の発令地域の人には貸さないの文言。解除は確定路線、まさか1週間で再発令ということはあるまい。緑の狸ならやりかねないのが怖い。まぁこの段階では出なかったので大丈夫であった。
9時の開店と同時にレンタル。「お客さんカブに乗ったことはある?」「ないですねー。」ちょっと心配そう。「原付は?」「ないですねー」かなり不安そう。軽くレクチャーを受けて転んで傷ついたら修理代かかるからと注意を受けいざ出発。
走り始めて100m意外といけることに気が付く。ドロップハンドルのロードバイクも苦戦しなかったし、自転車も補助輪外してすぐ乗れたからなぁ。バランス感覚はそれなりにある自信はあった。ギアチェンジもマニュアル免許持ってるので感覚はわかる。あっさり乗りこなしてしまった。
ただ8時間だけのレンタル。今治まで片道70km。50ccカブの最高速度は30kmどう考えてもギリギリ。撤退ラインは決めなければならない。14時までに今治に着かなければ折り返すと決めた。
橋を渡るたびに通行料の小銭を入れる。足らなくなりそう。ちょっと頭を抱え始める。
生口島でちょっとトイレ休憩。料金に関して調べると回数券があることを知る。しかも1冊で片道分になるという。購入先を見ると尾道駅でも買えたという・・・、あれ瀬戸田町観光案内所って購入所真ん前にあるじゃん。早速購入。帰りの不足分を払うために小銭は道中作っておこう。
今回借りたカブは60周年記念モデルらしい。かっこいい。このブログを書いてるときにレンタルバイクで確認したところラインナップから消えていた。珍しいし売れちゃったのかな。モデルチェンジ後のカブなのでセルモータ付きで電子制御。礼子様曰く「おもしろくない」とのことだが普通乗りなら楽でいいね。趣味で乗るなら面白くないのだろうけど。
カブ楽しい。ギアチェンジで動かすので動かしてる感が半端ない。坂を登ればシフトダウン、下ればエンジンブレーキ。オートマにはない楽しい感覚。教習者のマニュアルから家のオートマ乗った時面白くなかったんだよね。楽ではあるんだけど。しまなみ海道はかなりのアップダウン。これ自転車だったら半分も行かないで断念していた。
お昼は伯方島で塩ラーメンを。ハ・カ・タ・のしおですからね。でも急がないとタイムリミットが・・・。
真昼間なのにロバート・マイルズのFableが脳内で流れてるぞ。14時過ぎやっと今治側へ。
あとは帰る。結構ギリギリ。帰り大三島にてみたらしの水なる案内を発見。見ていくととに。
マジでやばい。
帰りは常にFable流れてる。バイク屋近くのガソリンスタンドで満タンに・・・って休みー。急いでバイク屋にかけこみほかにないか聞き込み。ちょっと走ったところに空いてるところがあるとのこと。急いで向かう。この段階で返却時間オーバー・・・。ガソリンを入れたところ1.7L。超燃費良い。感動もつかの間すぐに戻る。とうにベルはなってるぞ。延長料金はなしにしてくれた。優しい。
始めてカブに乗ったが面白かった。これは小型二輪取ろう。そしてキャブ式カブを買おう。こうして就職後の目標ができた。いやまず仕事を見つけなければ。
山陽本線 列車名時刻不明(というか覚えていない) 東尾道→倉敷
今日の宿は倉敷。明日は水島臨海のキハを撮るのだ。
20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その7
新しい仕事になりなれないことも多くなかなか書けませんでした。ブログを始めて意外と気力を使うのだなと実感してます。
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6月26日
呉市内なのですが博物館メインで大して取ってません。なので今回は文章はほぼなしで写真だけで行きます。手抜きではありません。実はこの日をどう表現したらいいのか悩んだのもあり1か月空きました。大和ミュージアムとてつのクジラ、軍港巡りに行ってます。
というかんじであんまり写真がないのです。
呉線 5616M 快速安芸路ライナー 呉14:02→ 広14:14
120M 広14:15→三原15:41
山陽本線 324M 三原16:05→糸崎16:08
1764M 糸崎16:11→尾道16:19
この日は尾道で宿泊。本当は尾道市内も回りたかったがしまなみ海道に行くために今回は行かない。明日はとっておきのものを用意している。でもちょっとだけ回ってみた。
宿は駅の近くのホテル港屋をとった。
家族経営の宿だ。見た目はぼろいけど中はきれいで前日の宿とは雲泥の差だった。ぼろくてもちゃんとしてればいいんですよ。呉のやつはぼろいなら汚くてもいいでしょみたいなのが嫌だった。
夕食はホテル近くのイタリアンへ。瀬戸内の海産物が多くおいしかった。
20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その6
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6月25日
広島市内
この日は広島市内をまわった。
まず広島駅より宇品へ。
なぜか元京都市電が集結していた。広島の市内電車を運営する広島電鉄は1960年代当時ほかの都市と同様にモータリゼーションで存続の危機にあった。軌道内に車の乗り入れが可能になり渋滞に巻き込まれることが多くなったのだ。しかし広島の町は三角州にできており軟弱な地盤で地下鉄を作るには難工事になることが予測されたことと、その地下鉄ができる前に市内電車を廃止してしまうとさらなる渋滞の悪化が予測されたこと、そしていち早くヨーロッパの都市を視察し道路渋滞緩和のための路面電車を知ったことで路面電車を残すということになった。1971年には車の軌道内の走行が原則禁止に戻った。各地の路面電車が廃止されていくと不要になった経年の浅い車両を買いあさった。この元京都市電もその一派で京都時代より広島での活躍の方が長い。
宇品停留所から宇品港の方へ。どうしても行きたい場所があった。
広島の宇品には陸軍船舶司令部通称「暁部隊」があった。陸軍の船舶での輸送を担う部隊で揚陸艇や珍兵器輸送用潜水艦まるゆなどを使った舞台だ。私の祖父が所属していた部隊だ。彼は徴兵され山口の方から輸送船で南方に行く予定だったが、船の都合が付かず1年近く桟橋の掃除をしていたそうだ。そして戦況の悪化に伴い本土戦が現実を帯び始める1944年後半に船舶司令部に異動してきた。彼は年長兵であった。広島での日課は午前中に毎日市内へ買い出しに行くこと。ところが1945年7月下旬、上官から「新兵が多く来るので兵舎を建てることになった。年長のお前が現場監督やれ」。運命というのは気まぐれだ。祖父はほかの人に買い出しを引き継ぎついだ。そして運命の日を迎える。
1945年8月6日。原爆が投下された。広島城跡を拠点としていた中国軍管区司令部は直撃を受け壊滅、広島駅の北側に駐屯していた第2総軍司令部は壊滅は免れたものの大きな被害が出て機能停止に陥った。市内で被害が軽微だった船舶司令部は直ちに市内へ救援に向かった。
救援に向かった祖父は夜この日赤病院の門の付近で野営をした。その際死体に間違えられたそうだ。
父の部隊は翌日ほかの地域から来た部隊に引き継ぎ宇品へ引き上げていった。その後3週間近く寝込んだそうだが。
この後広島平和記念資料館へむかう。実はここまでの話は祖父に直接聞いた話ではない。祖父は私の幼いころに肺がんで亡くなっている。これは父が聞いた話だ。祖父も多く語らなかったそうだ。知っているのはここに書いてあるのがすべて。資料館の資料で詳しく行動経路がわかるのではないかと考えた。結論を言うと船舶司令部という情報だけではわからなかった。大きい部隊なので個々の所属がわからないといけないそうだ。ただ大きい部隊だったので多くの証言が残っており、個々の部隊がわかればその証言からどこで救援したかわかるそうだ。終戦時の所属は親族であれば所属時の本籍地に問いあわせればわかるそうだ。ついでに気になっていたことを聞いてみた。「祖父は自分が軍にいて当時治療を受けれたので原爆手帳を申請しなかった。そういった人は少なからずいるのか」と。答えは「医療関係者や軍属だった人の中にはそのよう考え方の人が多くいる。そう考えるほど医療体制が悲惨だったのでしょう」と。今度来るときは個々の所属を調べてこようと思った。
呉線 5628M 快速安芸路ライナー 広島16:30→ 呉17:01
この日は呉で宿泊。呉のホテルは・・・名前を出さないけどひどかった。部屋は埃だらけ。部屋もかび臭い。確かに安かったけど安いだけだった。プラス1000円出せばまともな部屋のホテルに泊まれたと考えると余計に腹が立った。まぁ話のネタになるからいいんですが。
20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その5
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6月24日
駅のコンビニで朝ご飯を購入し列車に乗車。通学の学生が来る前にとっとと食べてしまう。案の定しばらくして混雑。
一時、考えたのは小野田から小野田線宇部線を経由して新山口に出るルート。しかし防府に行きたかったため今回は断念。まっすぐ山陽本線で向かう。
駅の観光案内所でレンタサイクルを借りて防府天満宮に向かう。
防府市観光案内所/レンタサイクル|観光情報|山口県の旅行・観光情報 おいでませ山口へ
なんでここに来たかったかというと。
メタルマックスというゲームを作った宮岡寛氏と山本貴嗣氏の故郷で、このミヤ王昔ばなしを見たときにすごく興味をもった。でその石段はというと結構高い。よく血の海ですんだなぁ。結構高いぞこれ。言われてみたらタイシャーっぽいです。
防府天満宮は日本三大天満宮だそうだ。勝手にあと2つは大宰府と湯島だと思ったが後で調べたら湯島ではなく京都の北野天満宮だとのこと。たしかにと納得してしまった。
こちらも課外学習の小学生がいた。どうも防府の史跡を回ってるようだ。歴史のある町はこういうのできていいなぁ。
ついでに古い街並みによる
駅でレンタサイクルを返し改札へ。改札入ってからコインロッカーに入れた荷物を悪れることに気が付き慌ててもどる。列車には何とか間に合った。
途中徳山で17分止まることをいいことに駅のコンビニでお昼ご飯を調達。2回連続でコンビニご飯になってしまった。岩国では錦帯橋へ向かう。
ちょうど鮎つりをしていた。景色としてはいい。
本当は山の上の岩国城に行くのが面白いのだろうけれども時間がないので往復で終わり。すぐに岩国駅へもどる。
帰りのバスの座席には都バスのマスコット「みんくる」が。地方あるあるで都営の中古車を買ってシートを張り替えずそのまま使っているとこうなるんです。網走でも遭遇したことがある。
山陽本線 1558M 岩国15:22→ 宮島口15:44
宮島航路 139便 宮島口15:55→(大鳥居経由)→宮島16:05
この時間から宮島へ向かう。宮島航路はなんと交通IC対応。時間タイトで次の便かなと考えていたので助かった。
本当はロープウェイにも乗りたかったが時間的に断念。厳島神社へ向かう。
前回来たときは高校3年の春休み。11年前。この時ちょうど結婚式をやっていた。世界遺産で結婚式っていいなぁと思った記憶がある。
お参りを終えとぼとぼ連絡船乗り場へお土産屋はもう閉まっている。
途中クラフトビールのお店で一杯。
おいしかったです。
またとぼとぼ連絡船乗り場へ。途中食堂で夕食用にアナゴ飯を買う。
旅館の焼き蠣を出していたので出していたのでそれも食べる。やっぱりおいしいなぁ。
宮島航路 46便 宮島17:25→宮島口17:35
山陽本線 1572M 宮島口17:51→広島 18:20
ちょうど帰宅ラッシュで列車は座れはしたものの混んでいた。荷物も大きいので大変。網棚に上げ下げするのも一苦労。広島についてまっすぐホテルへ。夕食も買ってあるので軽くアルコールを買っていく。明日は広島市内。結構歩いたので明日に備えて早めにベットにダイブした。
20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その4
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6月23日
靴は大丈夫そう。クーポン券は8時30分からやっているお店があり、そこで使うことにした。
朝食を食べてチェックアウト。井上商店へ向かう。
井上商店は最初お土産物屋さんだと思っていたが、海産物の加工品を作っている会社であった。
クーポン券でギフトセットを購入。自宅へ送る手立てをした。おまけで井上商店自慢の「しそわかめ」をいただいた。ギフトセットにも入っているものであった。自宅でご飯にかけて食べたがこれがうまい。ギフトセットには河豚茶漬けやゆず明太茶漬けなど入っていたがこれが一番だった。もちろんどれもおいしかった。
山陰本線 967D(小串から869D) 長門市9:55→下関12:52
この日は門司港へ向かう。切符は幡生から山陽本線に入るルートになっているので、幡生から門司港間は事前に東萩で切符を買っておく。こうすることで幡生駅で途中下車扱いになる。切符は門司港駅で幡生までの切符を見せて幡生からの切符を渡す。まぁ門司港でお金払ってもいいのですけれどもね。
本来東萩から下関までは2時間程度で到着するが、乗った列車は途中小串駅で1時間停車しているので時間がかかる。小串の駅前に食堂があるみたいなので、そこでお昼を取ることにした。
列車は相変わらずキハ40。結構乗ったがこの旅行で乗るのはこの区間が最後。
11時14分小串に到着。駅前にある食堂は定休日で休みであった。周りはほかにお店はなく昼食はお預け。下関から門司港へ。本数も多いので列車は省略。門司港には13時30分ごろに到着した。
門司港→下関
門司港では遅めの昼食。焼きカレーをいただき駅の横にある九州鉄道記念館へ。
思いのほか小さかったが内容は濃かった。キハ07には感動した。実は乗ったことがある。前面が変わり、内装はロングシートになりってはいたが。それは鹿島鉄道キハ600。正面から見ると若干斜めってた気がするし、車両の真ん中あたりがたわんでた気がするが気のせいだろう。
鉄道記念館の後は門司港を歩きつつ関門人道へ。
本当はトロッコが関門人道の近くまで走っているのだけれども運休中。バスも本数が少ない。暑い中とぼとぼ。荷物は下関のコインロッカーに置いてくるんだったなと思いつつとぼとぼ。
関門人道は歩行者と自転車・原付用のトンネル。歩行者は無料。自転車と原付は20円。なおどちらも下車して押して通ることになっている。とぼとぼ横断。驚いたのは人道内でランニングする人たち。距離がわかりやすいのだろうけど・・・蒸暑くないかなぁ。というかこのご時世に密閉空間の人道でランニングするなよというのが感想。運動はいいことですけどね。
人道は1.4km15分くらいで下関側。下関に上がると目の前には大砲が。
ここは幕末下関戦争があった場所。長州藩が関門海峡を通過する外国船に対して攘夷を決行。最初は不意打ちだったのでうまくいったが、軍艦が駆け付け圧倒的な差で敗北。これを機に攘夷をあきらめ長州藩は西洋文化を取り入れていくことになり、重要なターニングポイントになる。
本来地形を生かし山の上に置くのが良いのだけれどもよくわかってなかったそうで、海岸に置いてしまったのも敗北の原因だそうだ。ましてやすぐ後ろが崖で流れ弾が崖に当たり土砂が落ちてきてしまったそうだ。さてここの大砲、あとで家に帰ってきて今はまっているアニメ「スーパーカブ」の最終話で出てきた。ということは、れいこぐは関門人道で九州に行ったのか。思ってもいなかった聖地巡礼になった。この大砲お金を入れると砲撃音が出るらしいのだけれども営業時間があり、私の行った時間は営業時間外だった。あと10分・・・。
下関側の関門人道は幹線のバス路線に面しているためバスの本数が多い。本当は下関側の建物を回る予定だったが時間が遅くあきらめざるを得なかった。早めの夕食をとりホテルへ向かうのであった。
靴は接着が甘いところが少しはがれてしまったがおおむね良好。はがれてしまったところを再度接着した。