20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その6

使用カメラ

使用機材

カラー

イカIIIC フイルム:富士フイルム業務用100

モノクロ

Konica II フイルム:FomaPan100

 

6月25日

広島市

この日は広島市内をまわった。

まず広島駅より宇品へ。

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宇品停留所

なぜか元京都市電が集結していた。広島の市内電車を運営する広島電鉄は1960年代当時ほかの都市と同様にモータリゼーションで存続の危機にあった。軌道内に車の乗り入れが可能になり渋滞に巻き込まれることが多くなったのだ。しかし広島の町は三角州にできており軟弱な地盤で地下鉄を作るには難工事になることが予測されたことと、その地下鉄ができる前に市内電車を廃止してしまうとさらなる渋滞の悪化が予測されたこと、そしていち早くヨーロッパの都市を視察し道路渋滞緩和のための路面電車を知ったことで路面電車を残すということになった。1971年には車の軌道内の走行が原則禁止に戻った。各地の路面電車が廃止されていくと不要になった経年の浅い車両を買いあさった。この元京都市電もその一派で京都時代より広島での活躍の方が長い。

宇品停留所から宇品港の方へ。どうしても行きたい場所があった。

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宇品中央公園 陸軍船舶司令部跡

広島の宇品には陸軍船舶司令部通称「暁部隊」があった。陸軍の船舶での輸送を担う部隊で揚陸艇や珍兵器輸送用潜水艦まるゆなどを使った舞台だ。私の祖父が所属していた部隊だ。彼は徴兵され山口の方から輸送船で南方に行く予定だったが、船の都合が付かず1年近く桟橋の掃除をしていたそうだ。そして戦況の悪化に伴い本土戦が現実を帯び始める1944年後半に船舶司令部に異動してきた。彼は年長兵であった。広島での日課は午前中に毎日市内へ買い出しに行くこと。ところが1945年7月下旬、上官から「新兵が多く来るので兵舎を建てることになった。年長のお前が現場監督やれ」。運命というのは気まぐれだ。祖父はほかの人に買い出しを引き継ぎついだ。そして運命の日を迎える。

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船舶司令部で使っていた桟橋の跡

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使用石材

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陸軍桟橋の碑

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広島水上警察所跡

1945年8月6日。原爆が投下された。広島城跡を拠点としていた中国軍管区司令部は直撃を受け壊滅、広島駅の北側に駐屯していた第2総軍司令部は壊滅は免れたものの大きな被害が出て機能停止に陥った。市内で被害が軽微だった船舶司令部は直ちに市内へ救援に向かった。

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日赤病院。旧門

救援に向かった祖父は夜この日赤病院の門の付近で野営をした。その際死体に間違えられたそうだ。

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建物の一部

父の部隊は翌日ほかの地域から来た部隊に引き継ぎ宇品へ引き上げていった。その後3週間近く寝込んだそうだが。

この後広島平和記念資料館へむかう。実はここまでの話は祖父に直接聞いた話ではない。祖父は私の幼いころに肺がんで亡くなっている。これは父が聞いた話だ。祖父も多く語らなかったそうだ。知っているのはここに書いてあるのがすべて。資料館の資料で詳しく行動経路がわかるのではないかと考えた。結論を言うと船舶司令部という情報だけではわからなかった。大きい部隊なので個々の所属がわからないといけないそうだ。ただ大きい部隊だったので多くの証言が残っており、個々の部隊がわかればその証言からどこで救援したかわかるそうだ。終戦時の所属は親族であれば所属時の本籍地に問いあわせればわかるそうだ。ついでに気になっていたことを聞いてみた。「祖父は自分が軍にいて当時治療を受けれたので原爆手帳を申請しなかった。そういった人は少なからずいるのか」と。答えは「医療関係者や軍属だった人の中にはそのよう考え方の人が多くいる。そう考えるほど医療体制が悲惨だったのでしょう」と。今度来るときは個々の所属を調べてこようと思った。

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夏の原爆ドーム

呉線 5628M 快速安芸路ライナー 広島16:30→ 呉17:01

この日は呉で宿泊。呉のホテルは・・・名前を出さないけどひどかった。部屋は埃だらけ。部屋もかび臭い。確かに安かったけど安いだけだった。プラス1000円出せばまともな部屋のホテルに泊まれたと考えると余計に腹が立った。まぁ話のネタになるからいいんですが。