20221021-23 下北半島と三陸 その3

さぼり癖を直したい・・・。

使用カメラ

カラー

キヤノン7 フイルム:富士フイルム業務用100

10月23日

三陸鉄道リアス線 釜石8:33→盛9:23

本当はSL銀河に乗りたかったのだけれども切符が取れなかったのです。

銀河

ホームのいる銀河をしり目にリアス線に乗る。キハ141に乗りたかた・・・。

大船渡線BRT 盛9:51→陸前高田10:34

        陸前高田10:34→奇跡の一本松10:44

盛でBRTに乗り換え。

岩手開発鉄道

開発鉄道というと北総を思い浮かべるのはおじさんだなぁ。

BRT

車窓

はじめてBRTに乗ったがこれは三陸だから成り立つなぁと感じた。というのも三陸の鉄道は戦後に開通した区間が多く勾配緩和のために曲がりくねっていない。比較的直線的だからこそ専用道路にして短縮効果があるのだ。やたらBRT・BRTと叫ぶ人がいるが気がついてないだろうなぁ。

せっかくなので一本松を見てみようと思っていた。

一本松がなんで残ったのか不思議だった。ここにきて謎が解けた。

松の海際にコンクリ造りのユースホステルがあったのだ。これがある程度波除になったそうだ。それでも周りの松は流されているので文字通り奇跡なのだろう。

奇跡の立役者

震災資料館もあるのだけれども時間がなく今回はパス。改めて三陸をめぐり各地の震災資料館を回りたいと思った。

大船渡線BRT 奇跡の一本松11:26→気仙沼11:58

気仙沼はずっと行きたいところだった。東日本大震災のとき私は都電に乗っていた。王子駅前を出て明治通りへ、飛鳥山の坂を上がり信号で停車。その瞬間だった。まぁもともとコイルバネでよく揺れる7000形だったので最初は地震と感じなかった。ようやく地震と感じてもそこまで大きな揺れではないと思っていた。都電は飛鳥山で打ち切り。交差点の交番で公衆電話の場所を聞き、飛鳥山公園の公衆電話で家に無事の連絡をした。途方に暮れて王子駅前の都電の三ノ輪橋方面のホームのベンチに座ってると同じく途方に暮れたおばさんがやってきた。二人でしばらく話をし、「情報を仕入れましょう」と私が携帯のワンセグを起動。そしたら真っ先に映ったのは港でフェリーが流されてる映像だった。これどこ以外の言葉がでないおばさん。私は「気仙沼ですね。気仙沼ちゃんの。大島へ行く船だ・・・」。欽ドコは見たことはない。でも数か月前に気仙沼ちゃんの今という特集を見たことがあり真っ先に思い浮かんだのだ。

気仙沼ではレンタサイクル鮫バーガーを食べた。

フェリー

でも写真はこれだけ。あの映像で映っていたのはおそらく市場でそこも行ったのだけれどもなぜか撮っていない。それだけ見入ってしまったのだろう。東日本大震災というと私はおばさんとワンセグであの映像をみて「どうなってしまうのだろうか」とつぶやいたことの印象が強いのだ。

気仙沼線BRT 気仙沼14:15→柳津16:04

気仙沼の駅に戻るとポケモントレインが。

ここからなぜか露出がアンダー気味

乗ってみたいがこれは一人で乗れないなぁ。恥ずかしい。

気仙沼線BRT

大船渡線気仙沼線は同じBRTだけど違うなと思った。大船渡線はほぼ線路を走るのに対して気仙沼線は一般道を走ることが多く、南三陸町中心部ではほぼ路線バスに変わった。なんかBRT用として整備したけど明らかに使ってない道路も見えたんですけど・・・。

志津川駅はお召列車も折り返した駅だが今は道路沿いに移転し面影はない。旧ホームは一応現存しているそうだ。

BRTは終点柳津へ到着。

柳津駅

昔、みやぎ国体の際石巻線にお召列車が走ったことがあった。仙台から走り陛下が降りたのはこの柳津駅だった。自分もお召列車の撮影に連れて行ってもらった。陛下はずっと手を振っており子供ながら大変だなぁなんて思っていた。なんでこんなところにやってきたのか宮内庁のホームページで調べたところ「バスケットボール競技ご覧(登米町総合体育館)」とある。地図を見たところ近くにあった。ところでお召列車の運転は柳津までの片道だけだけで帰りはどうしたのだろう。

気仙沼線石巻線 柳津16:26→小牛田16:10

東北本線 小牛田16:49→仙台17:36

東北新幹線やまびこ156号 仙台18:44→上野20:48

あとは帰っただけ。特に写真はない。