20210620~20210704 山陰・山陽・紀伊半島放浪記 その11

使用カメラ

カラー

イカIIIC フイルム:富士フイルム業務用100

モノクロKonica II フイルム:FomaPan100

 

え、モノクロがないって?写真まだ取り込んでないのです。取り込んだら追加していく形にします。ここからはローカル線になるのでまた時刻を入れていきます。

 

6月30日

阪和線 5707H 紀州路快速 天王寺6:45→和歌山7:30

紀勢本線 333M 和歌山8:06→御坊9:08

      2351M 御坊9:10→紀伊田辺9:51

      2331M 紀伊田辺9:53→串本11:39

最初の目的地は串本。鈍行列車を乗り継いでいく。御坊で紀州鉄道も見たかったしなんなら藤並には有田鉄道があってその廃線後もある。白浜も行ってみたかったが全部行くには列車がない。せめて串本の橋杭岩とある場所が見たい。

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御坊行き

白浜では天王寺を7時59分に出てくる特急くろしお1号の待ち合わせ。串本には30分くらいしか変わらないのでこのまま普通列車で行く。

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くろしお1号

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紀伊半島の海

串本ではレンタルサイクルを借りる。電動である。ちょっと高いけどバスは数が少ないので仕方ない。

まずは橋杭岩串本駅から自転車で10分弱。

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橋杭岩

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結構いい

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丁度潮が引いていた

このあと紀伊大島に向かう。電動自転車は速度が出るとスイッチが切れるので途端にすごく重くなる。普通の自転車に慣れているとこれがイライラする。電動クソだわーと思いつつ大島突入。大島に入った途端アップダウンで感謝し始める。大島をほぼ横断。トルコ記念館に到着。

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慰霊塔

時は1890年オスマントルコ帝国から使節団がエルトゥールル号でやってきた。帰る際ちょうど台風の時期だったのでちょっと待った方が良いと注意をしたのだけれども無理して帰ることにした。その帰り道この紀伊大島樫野崎の岩礁に衝突。ボイラーに浸水し水蒸気爆発を起こし沈没した。生き残った人たちが灯台に救助を要請。言葉がわからないので国際信号旗で意思の疎通をしたそうだ。樫野の人たちは台風で漁ができず食料が少ない中懸命の救助活動が行われた。

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灯台

救助されたエルトゥールル号の人たちは日本の軍艦でトルコに帰っていった。それから95年後イランイラク戦争イラクはイラン上空を飛ぶ飛行機を無差別に撃ち落とすと通告。各国は自国民を避難させる中、日本は当時は自衛隊を派遣できず、また民間航空会社も安全が保障できない限り飛ばせないと断られ日本人が避難できない状態に陥った。他国も自国民を避難させるのが精いっぱい。ダメもとでトルコの大使に相談したところ快諾。飛行機を1機増やし2機にし日本人を分乗させてくれた。この時大使はこういったそうだ。「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」と。日本とトルコの交流はここから始まったのだ。そういうところはあまりない。だけど駅から遠かった。

紀勢本線 2333M 串本15:10→新宮16:12

本日は新宮で1泊。速玉大社に行く予定だけれども閉門時間が16時30分までであったのでこの日は断念。ホテルに直行。天気予報と・・・明日結構な雨。どうやらいけなそうである。